表現力とは何か(技術と表現の違い)

ボイスラボでレッスンを受けられる方の動機として一番多いのは、「高い声(俗に言うミックスボイス)を出せるようになりたい」だと思います。

その次に来るものはというと、「歌が一本調子になってしまう(歌にメリハリが出せるようになりたい)」「オリジナルのコピーみたいになってしまって自分の歌がよく分からない」「ビブラートがかけられるようになりたい」「人前でちゃんと歌える曲がほしい」「大きな声が出せるようになりたい「音痴を直したい」「全般的に上手くなりたい」…なとといった感じになります。「高い声を出したい」という動機が一番多く、それ以外は突出して多いものはありません(Voice Lab.内での統計結果より)。

高い声はもちろん、歌にメリハリをつけるのも、ビブラートを習得するのも、ボイストレーニングの範疇で出来ることがほとんどです。

ボイストレーニングとは、声を自由自在に出す(高い声・低い声・強い声・弱い声・固い声・柔らかい声・伸びる声・詰まる声・まっすぐな声・揺れる声・響く声・こもる声・唸り声・かすれ声……など無限にあります)ためのトレーニングであり、声が自在に出るならば大抵のことは表現可能になります。

声自体に良い悪いはありません。むしろあらゆる声を「全て有り」としたところから、どういった声を出すのかが表現の醍醐味です。

concertさて、少し話が横に逸れましたが、今回は「表現力とは何か」というテーマです。

ここで注意したいのは、「表現力」と「技術力」の違いです。

ビブラートで言うなら、きれいにビブラートをかけられるという事は「技術力」が高いということです。「表現力」が高いこととは別に考えています。

それだけボイストレーニングによって多くの課題に対応することが出来るのですが、その反面、ボイストレーニングが技術の方に偏り過ぎて、プロ・アマ問わず「巧さ」のみ目立つ歌が多いように思います。ネット等でも技術至上主義な風潮があるように感じています。

松任谷由実さんの歌は、ビブラートがあまりありません。ですが、人を惹きつける何かを感じることが出来ると思います(ここでは個人的な好き嫌いは置いておきます)。

彼女の曲を技術力の高い歌手がビブラートを効かせて歌ったとしても彼女より人を惹きつけることが出来るかどうかはかなり疑問です。現実的には聞き慣れたオリジナルのアーティストの歌だから心が動きやすいという要素がかなりあります。

でも、もし仮に彼女の曲(例えば『卒業写真』など)を別の技術力の高い歌手がオリジナル曲としてリリースしていたとしたら、松任谷由実さんが歌うよりもヒットしたのでしょうか?

「もし〜としたら」と言ったところで全て勝手な想像に過ぎませんが、彼女よりヒットする歌手もいたでしょうし、ほとんど全く売れなかったという歌手もいたに違いありません。

つまり歌唱技術(ビブラートなど)と表現力(人を感動させること)とは全くの別物だということです。

いろんな声を出せたり、いろんな動きが出来ることはとても良いことです。そしてそれは「技術力」の話です。

技術は表現のためにあります。技術のための技術にならないように注意しなければいけません。

高い声を力強く出すため、音程を正確に取るため、メリハリをつけるため、といった動機は技術力を高める上では必要なものですが、最終的に歌で人を感動させるためにはそれぞれの声がメンタルな裏付けを伴っている必要があります。

譜面に「ド」の音が書いてあるから自分の出せる一番良い「ド」を出す、というのではなく、ここで「ド」を出すのにぴったりな自分の気持ちを見つけなくては「表現」として成立しません。

低い音でも小さい音でも中くらいの音でも、それぞれ作曲家がその音を選んだ心的理由があります。メロディーとは、作曲家が心の流れを紡いで出来た気持ちの折れ線グラフなのです。

それをどう感じてどう歌うかは、たとえレコーディングなどで何がしかのディレクションを受けたとしても、本質的には全て歌い手に委ねられているのです。

この動機付けに嘘がなく、且つ強いパッションを持ったものがより人を惹きつけうるものになるとボイスラボでは考えています。

もちろん、もともと生まれ持った声質や芸術的才能、環境、ルックス、時代背景、などさまざまな要素が絡み合って「感動」というのは生まれます。ですが自分に出来ることというのは、基本的には技術力と表現力を高めてゆくことしかないと思います。

技術力は、数字で現れる世界です。

表現力は、数字で表すことの難しい世界です。

もし、何かの薬を飲めば感動できたり、○○Hzの周波数を出せば、人が感動する、といった数字や実験結果が出て来れば、芸術はその存在意義を全て失ってしまいます。

なぜ人は感動するのか?

どうすれば人を感動させられるのか?

それは「なぜ生きているのか」という永遠の命題と響き合うとても深遠な問いです。

その深い世界に自分なりの光を灯そうとする行為が、芸術であり、歌であると思います。

かなり抽象的な話を展開してしまいましたが、レッスンでは哲学の講義をしているわけではありません(^_^;)

ボイスラボで表現についてどういったトレーニングしているのか、またこの「こえぶろぐ」でも追々お伝えできればと思っています。

 

 

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