ボイストレーナーへの道のり ⑤ 音楽学校にて
「植村さん。いろんなことがあると思いますが、
音楽学校の入学カウンセリングの時にスタッフの方からボクはこう
実は当時のボクは歌を歌ってゆくつもりがありませんでした。
演劇をしていた頃に役者ではなく脚本家や演出家を目指したように
しかし、ピアノもほぼ弾けない、音楽理論もまるで知らない、
今から思うと色んなところに保険をかけて、
別な時には「プロになる、ならないじゃないんだ」
確かに音楽をするというのは本質的にはプロとかアマとかの次元とは全く
このように逃げ道だらけ、
「楽しい!」
「ヤバイ!」
「なに、この充実感っ!!」
……と、とても充実していました。
他の音楽学校を覗いた訳ではありませんが、
「なんだ!この世界は!(≧▽≦)!」
今まで知らなかった色んなジャンルの歌を教わり、
有頂天でした。
自分はスゴイと思っていました。
才能があると思っていました。
音楽学校の2年目に入った頃、
「ボクなら受かるはず!」
そして、
当時、男性のジャズボーカルは珍しく、審査員の方が恐らく「
さて、
CDを1週間に30枚ほど買い、
ドキドキで初ステージを迎えました。
熟練したミュージシャンの方たちに助けていただきながら、
しかし、………オーディションの合格者には、
そう言えば、ジャズのステージの合間に客席から
「あいつは確かにめちゃ上手いけど、それだけやな。
と話すのが聞こえました。誰が話したのかは分かりませんでした。自分と同い年くらいの声に聞こえたので、音楽学校の友達か知り合いかなと思いました。
「きっとボクの歌が上手いからひがんでるんだ……。」などと思って、大して気にしていませんでした。
その後、2回のステージを録音・編集したデモテープ(
音楽学校で2年学んだ後、
この頃にはもう作編曲家という気持ちは微塵もなく、
音楽学校でも歌を専門に学ぶことになりました。
その内、
本当に行きたいのであれば、
そもそも、
「
「海外でも自分が通用する実力があるのか確かめたい。」
そんな気持ちでした。
自分で自分のことを認められないからこそ、
「歌で何かを伝えたい」という強い思いがあったわけでなく、
ジャズのオーディションを受けたのも、
「あいつは確かにめちゃ上手いけど、それだけやな。
………ジャズのステージの際に客席から聞こえてきた言葉は、
特待生としての一年はあっという間に過ぎ、
その後は、バイトばかりの暮らしになりました。
ライブもほとんどしませんでした。
音楽をしてゆくんだという想いは自分の中で疑ってはいませんでし
バイト生活が1~2年ほど経った頃、その時務めていた
派遣社員のような仕事だったので、
「よし、これを良い機会だと思って、このお金をもらえた3ヶ月の間にこれから自分はどうするのか、真剣に考えよう!」
そう思いました。
………しかし、あっという間に月日は経ち、
結局、何も出来ない、
そんな時、
「植村くん、引っ越しするから電話番号変わるって言ってたけど、
と電話がかかってきました。
通っていた音楽学校の方からでした。
「バイト、
「なんや、それ! ちょっと話があるんだけど、時間のある時に学校に来てくれない?
「分かりました。時間だけはたっぷりあるんで・・・」
………なんだろう。何かいい話かな…。それとも何か怒られるかな・・・。特待生にまでしたのに何も活動しないなんてどういうことだ的に・・・。
でも、
考えても分かるはずはありませんでしたが、
ボイストレーナーへの道 ⑥ へ続く
【参考音源「当時のボク(24~25才頃)」】
「確かJAZZ演ってた時の音源テープで残してたな」あれブログにアップしてみよっかな。と思い探してみたら、心当たりのデモテープ(記事中に出てくる「プロの方に配りまくった」というデモテープです)は見つかりませんでした。その代わり、他の音源もちらほら見つけてこの際それでも良いかなとPCに取り込んでみました。
正直、それなりには上手かったと思っていたのですが、取り込む際に自分の昔の歌を聴いてぶったまげました。
「こんなにひどかったのか!!」
・・・・・・ショックでした^^;
でもまあそれだけ自分が成長したということで良しとしたいなと思います。
発声のこともありますが、何より歌を歌うということがあまりにもテキトーすぎて今の自分が客席で聞いていたとしたらきっと怒って帰ったと思います。それでそんな音源載せるのか、どうしようかと迷いましたが、一度載せてみて、不評っぽかったら消そうかなと思っています・・・^^;
聞いた人は「別に下手じゃないやん」とか「きこえにくっ!(音源の状態が悪いです)」とか色々あると思いますが、今はもっといい歌うたっているので、これが今のボクとは思わないで下さいね。・・・なんか言い訳ばかりで見苦しいですね・・・^^;
さて、2曲載せました。
- Lover Come Back To Me
ボクがJazzをやっていた時の最後の方かなと思います。結局Jazzの常套句や決まり事などもあまり分からないまま、勘で歌っていました。いつもびくびくしながら「大丈夫かな」「ちゃんとできるかな」とステージを迎えていました。かなり雑な歌だなと思いました。Jazzを歌うということに必死で自分がその音楽やライブ感を楽しんで歌うという気持ちは全くなかったと思います。難しい問題に挑んで出来るかどうかの博打をしているような感覚でした。それも楽しまずに。まだマシな音源を載せたのですが、他の音源などを聞いていて、良くこれで他のプロの方は一緒に演奏してくれていたなと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました・・・。
でも実はこの時共演したミュージシャンの方が音楽学校の講師の件を推して下さったそうで、このステージがなかったらボクはボイストレーナーとして(というか音楽に関係した仕事をする人としては)世に出ることはなかったかもしれません・・・。
2.You Don’t Know Me (Kenny Loggins)
これもまだボイストレーナーになる前でまだバイトをしていた頃の演奏です。年に2~3回ほど演った中の数少ないライブ音源です。ピアノの弾き語りをしています。この音源を聞いて、まだ音楽学校の生徒だった時、ボーカルのテストで、「植村くんは声のMAX(最大)とMIN(最小)の差が激しすぎるね」と言われたのを思い出しました。まあこの録音の状態が悪いというのもありますが、小さい声は聞こえないほどで、大きい声は叫んだりしています。自分の中の気持ちには従って歌っているのだと思いますが、人にこの歌を届けるという意識はなかったんだと思います。
「自分の気持ちに嘘のない歌を歌う」というところに集中しているのですが、自己満足の域を出ていないと思います。歌を歌うことでその空間を変えるほどの歌を全く描けてはいないのだと思います。この音源はかなり退屈かもしれませんね。1’00″頃より歌が始まりますので、イントロの長いピアノが聞いてられない方は飛ばしてお聞き下さい。
Jazzを経由したことで、25才頃とは思えない老けた歌になっています・・・。Jazzをやっていた頃は「植村くんも30才を超えてきたらいい歌うたえるようになるよ」などと言われ、歌い方から服装まで大人チックな感じを目指していました。メル・トーメやナットキング・コール、トニー・ベネットなどの歌を聞いてその雰囲気を掴もうとしていました。
今も落ち着いた歌を歌う方だとは思いますが、この時よりはもっともっと若い歌を今の方が歌っているかなと思います。
Jazzを歌うのではなく、ボクの歌を歌えば良かったのです。