(1) ボイストレーナーとしての自信と不安
29歳の時にバイトを辞めて音楽一本にしてから、ボイトレの仕事も事務所系の歌う仕事も昇り調子で順調でした。
経済的にも30歳前後の独身男性としては困らないか余裕があるくらいには稼いでいました。
そして何より「自分は音楽で食っていけてる」という事実がボクの自尊心を強くさせました。
ブライダルなどの事務所経由の仕事では、もちろん現場での色んなことはありましたが、概ね不安なくやっていました。
事務所やクライアントの方たちからの評判も良かったように思います。
ボイストレーナーとしても自分なりにプライドを持っていましたし、論理的に正しいと思われるトレーニングの方向性は持ってるつもりでした。
ですが、具体的な個々のケースで迷うことも多く、常に不安を抱えていました。
「ほんとにこのままでいいのかな……。」
「どうしたらもっと良くなるんやろ……。」
そんな中、ある時一人の生徒さんがレッスンが終わった後に一冊の本を持って来てこう言いました。
「先生、すみません。あの、この本、先生が言ってはるようなことが書いてるなあと思ったんですがちょっと見てもらってもいいですか?」
その本はE.ハーバート-チェザリーの「The Voice Of The Mind」でした。
目次をチラ読みし、興味ある部分を軽く読ませてもらうと、確かにその生徒さんの言うように自分の考え方に近いと感じました。
早速最寄りの大型書店で購入し、読んでみました。
本はとても分厚く、最後まで読み終わるのが想像以上に大変でしたが、書いてある内容は頷けるものでした。
そして、このチェザリーの流派にはグロリア·ラッシュやセス·リッグスなどアメリカの超ビッグネームたち(マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダーなど)が師事したボイストレーナーがいると知りました。
自分の考え方は今まで他の誰とも合わなかったけど、やっぱり正しくてむしろ先進的な考え方なんだと思い、とても興奮しました。
腹式呼吸や腹筋などを重要視しない(むしろ害のあることの方が多いと認識する)ボーカル講師やボイストレーナーが周りにはボク以外ほぼいない中、この本との出会いは初めて『自分の考え方であってるんだよ』と認められた気がしました。
トレーナーとしての自信が出てきました。
その後、当時流行っていたSNSのmixiを通じて、東京には同じような世代で先進的なトレーナーさんが他にもいることを知りました。
「ボク一人じゃないんだ!」
と、とても嬉しくなりました。やっぱり自分の方向性であってるんだと心強く感じました。
早速、DAISAKUさん、安達晃さん、しばらくして、まだSLSのライセンスを取る前の桜田ヒロキさんも見つけて、友達申請をしました。
皆さんすぐに快く承認して下さり、色々と交流させてもらいました。
今思うとスゴい組み合わせですが、桜田さんとDAISAKUさんが中心となって東京で有志による発声に関する勉強会を開かれたりもしていました(場所的な理由とスケジュールとでボクは一度も参加出来ませんでしたが……)。
どんどんと新しい方法や考え方が見えてきて楽しくなってゆきました。それらは論理的にも正しいように見えました。
どんどんとレッスンの質が高まってゆくのを感じながらも、成長がなかなか進みにくい生徒さんがいました。その方たちに論理的に正しいと思われるレッスンをしてもうまく行かないことが多々ありました。
「何か根本的に方向性が間違っていないだろうか……。」
通常のボイストレーナーよりは絶対に勉強も研究もしているという自負がありましたが、同時に自分は本当は何も分かってないのではないだろうかといった不安がいつも心のどこかにくすぶっていました。
その不安が消えるのには、武田梵声先生の「ボーカリストのためのフースラーメソッド」が出版されるのを待つこととなるのでした。
この本との出会いによって、これまでの考え方はとても部分的な小手先の論理であったと気付きました。声についての感じ方がより広くなり、より声のあるがままを捉えられるようになりました。
もちろん今でもわからないことや迷うことはありますが、根本的な部分での不安は大きく無くなったと言っていいと思います。
それだけ「フースラーメソード」は、ボイストレーニングの流れに大きな影響を与える本であり、今後もその影響は大きくなってゆくことでしょう。
少なくともボクにとっては、まだまだこれから先もずっと必要であり続けることでしょう。
正直なところ、ボクはあの本の前半部分(アンザッツ)を研究しているだけで、後半の核心部分である民族的な(私達の通常の音楽という概念を越えた)アプローチについてはまだまだ手を付けられていません。
それでも、日々発見があり、声に対する認識を文字や理論的なものから「体感」へと昇華してくれています。
来たる今月末(2016/11/27)の武田先生の大阪講演会を機に、ボクもフースラーメソードの核心部分にいよいよ足を踏み入れてゆきたいと思っています。
(2) ボイスラボの立ち上げ
そもそもボイスラボを立ち上げたのは、「ボイストレーナーとして成功したい」という野心的な動機からではありませんでした。
実は、それまで自宅で細々と行っていたレッスンを息子が邪魔をするようになったことがきっかけでした。
息子が色々と物事が分かるようになって、「なぜパパは家に居るのに一緒に遊べないの!」とさびしがったようでした。
父親としては嬉しいことでも、一家の家計を支える者としてはとても困りました。
レッスン中に電子ピアノや部屋の照明の電源を消したり、大きな声で「パパー!」と泣き続けたりしました。
さすがにレッスンにならず「今日はゴメン」と生徒さんに帰ってもらうこともありました。
息子をキツく叱って黙らせるという選択もあったのかもしれませんが、ボクはこのまま自宅でのレッスンを続けるのは無理だと判断しました。どこか場所を他に借りて外でレッスンするしかないと考えました。
最初は、今の場所(京都・四条烏丸)ではなく、家の近場でテナント物件ではなく安いワンルームの物件を借りようと思いました。そこを自分で防音工事してレッスンをしようと考えていたのです。
でもそのうち、
「どうせやるなら思い切って人の集まりやすいところで思い切ってやってみたい」
という気持ちが生まれてきました。
出来なくなった自宅レッスンをただ場所を移してやるというのではなく、
「むしろこれはしっかり宣伝もして自分のスタジオとしてより多くの人に知ってもらう良い機会なのではないか」
と思いました。
近場も含めていろんな物件を見ました。
色々と見た中で一番ピンと来たのが、今のボイスラボのある所でした。
立地が良いのはもちろんですが、テナントの雰囲気がとても気に入りました。
一目惚れでした。
ですが、自分が見た物件の中では立地が良い分、一番家賃も高く、結局初めに想定していた家賃の3倍くらいありました(最初の想定が低すぎたのもありますが……^^;)。
経済的に余裕がある訳ではなかったので家賃が高いというのはとても問題になりました。
しかし、そのテナント以外でスタジオを始めるイメージは全くボクの中に湧いてきませんでした。
奥さんに相談したら、
「あなたの気に入ってるところが一番いいと思うよ」
と背中を押してくれました。
それから何度も考え直した上で「やっぱりここしかない!」と思い、今の場所に決めたのでした。
しかし、ビジネスにあまり関心のないボクにとって、まさに博打を打つようなものでした。
明確な事業計画があるわけではなく、上手く軌道に乗るのか、それとも失敗して借金まみれになるのか、全くの未知でした。
底知れない不安を新しく始まることへの希望やわくわくで覆い隠そうとしていました。
ボクの歌やレッスンを知ってる人は「きっと成功すると思います!」と応援してくれました。
でも、きっとビジネスに詳しい人が現実的な数字だけを見るなら、「ずいぶん無謀な賭けですね」と相手にされなかったかもしれません。自分でも無茶かな思ったくらいなので、ビジネス的にはきっともっと違った賢い選択があったのだと思います。
でもそれより「ここでレッスンをしたい」と感じる自分の感性を信じて、今の場所に決めたのです。
オープン当初は、当然ながら生徒さんがすぐにたくさん来てくれるわけではありませんでした。
でも、その間の半年ほどはなぜか家賃に近い金額の臨時収入が毎月入ってきてくれました。
宣伝はチラシなども作ったのですが、結局どこにも蒔かずに、結果としてホームページを作っただけでした。
当時はまだ大手の音楽学校以外でボイトレに特化したプライベートスタジオは少なく、ほとんどSEO(検索エンジン最適化)対策をしていないのに、『京都(大阪·神戸·関西) ボイストレーニング』『京都(大阪·神戸·関西) ボイトレ』と言った検索ワードで上位表示されていました。
徐々に問い合わせが増え、1年もすると忙しくて大変なくらいになっていました。
すると今度は、音楽学校のレッスン、音楽事務所の仕事、ホテルのバーで歌う仕事、そしてボイスラボのレッスン、といくつも仕事の場があることで、次第に体力的に大変になっていました。
朝、ボイスラボでレッスンをして、音楽学校に移動してそこでレッスンをして、またボイスラボに戻って夜までレッスンをして、深夜はホテルに行って歌を歌う、というような日が沢山ありました。
そんなある日、ホテルのバーで歌っている最中に急に声が出なくなってしまったのです。
ビックリしましたが、それほど落ち込むことはありませんでした(色んな方面にご迷惑をおかけしましたが・・・)。
「これは、このままでは続けていけないということなんだ!」
と判断して、お世話になった音楽学校と音楽事務所(ホテルの歌の仕事も同じ事務所でした)を辞めることにしました。
急な決断だったので迷惑を掛けてしまうと躊躇しましたが、どちらも温かく対応して下さり、とても助かりました。
そんな訳でボクの仕事は、ほぼボイスラボのレッスンだけになりました。
ボクが37歳のことでした。
ボイストレーナーへの道のり ⑩ へ続きます。