なぜ歌うのか? ② 小学校の授業で
先日、子供(小学5年生)の授業参観がありました。
社会と道徳の2時間を見学しました。
道徳の時間は「父の仕事」という短い読みものを通じて、感じるところを話し合うというものでした。
先生「みんなのお父さんやお母さんも仕事をしてると思うけど、なんで仕事をしてるのかな?」
・・・と先生がみんなに問いかけました。
生徒A「お金を稼がなあかんから」
生徒B「家族のためだと思います。」
生徒C「自分のしたいことができるために・・・」
いろいろな子が手を上げて発言していました。
そこで先生は、
先生「じゃあ、みんなは将来何かの仕事に就きたいですか?仕事に就きたいっていう人、手を挙げて?」
と聞きました。
すると、子供たちが全員手を挙げました。
さらに先生は、
先生「じゃあ、みんなは何で仕事したいのかな?」
とたずねました。
すると子供たちは、
生徒D「自分の欲しいものが買えるから。」
生徒E「自分が大きくなって家族とかができたら養わなあかんし。」
あれやこれや答えていましたが、結局は生きてゆく上で『お金を稼がないといけない』ということなんだなと思いました。
そりゃそうです。
自分でも考えてみましたが、やはり「家族を養う」という金銭的な理由は、自分が仕事をする上でもとても大きいと思いました。
でも、ただ、お金が入るんだったら今の仕事じゃなくて何でもいいのかって言うと、「そうではない!」と思う自分がいました。
たぶん自己実現とか、そんなことがあると感じます。
自分にはみんなに分かりやすく伝えられるような言葉が思い浮かびません。
もし先生に「お父さんは何で働いていらっしゃるのですか?」って質問を振られたら、自分はちゃんとしたことが何も言えないで言葉をにごしてしまうなぁ、と心の中で苦笑いしました・・・。
「父の仕事」というお話はとある親子の仕事をめぐるエピソードが載っているのですが、その話を通じて先生がみんなに伝えたかったことは、
きっと、
「どんな人の仕事も、そこに住む人々の生活につながっているものなんだ」
ということなのだと思いました。
誰かの仕事が、他の誰かの生活を成り立たせてたり、役に立ってたり、豊かになってたりするわけです。
すごく当たり前のことで、簡単なことなんだけど、忘れてた気がしました。
なんか目の前がぱあっと明るくなった気がして、先生と自分の子供に感謝しました。
「なぜ歌うのか?」
この問いは、おそらくとても深いもので、ひょっとして自分が死ぬまでに答えが見えないものかもしれません。
「歌を歌う」ことは、『仕事』とか『お金』という制度ができる、ずっとずっと前から存在していたのだから、きっとすぐに分からなくて当たり前のことなのでしょう。
このとても「深いもの」を求めるあまり、自分の目の前のことが見えなくなっていたのかなあと思いました。
たくさんの生徒さんが「習いたい!」と来てくれて、
「お父さん」と呼んでくれる家族がいて、
他にもいろいろと気にかけてくださる方がいたりして、
そんなもろもろが、とてもありがたいことなんだなあと感じられました。
私は、
おそらく、
お金や仕事といった現実のことだけに目を向けることも、
なぜ歌うのか、真実は一体何か、といったことに自らを100%ささげることも出来ない、
中途半端な、とても「普通の人間」なんだと思います。
そして、欲張りなのですが、どちらの意味も感じて生きてゆきたいのです。
歌や声の本当に深い世界から、日常の些細な家族とのやり取りまでたっぷりと味わって生きてゆきたいです。
「二兎追うものは・・・」と言いますが、地声と裏声の絶妙なバランスのように、両方を上手くバランスして生きたいと思っています。
そして、それを自分の歌として歌えたなら、本当に幸せなのだろうなと思うのです。