脱・ボイストレーナーへの道のり (アメーバ―ブログ「Voice Lab. 植村典生の歌の贈り物」より)

以下はアメーバ―ブログ「Voice Lab. 植村典生の歌の贈り物」に掲載した内容をそのまま載せています。

 

「脱・ボイストレーナーへの道のり」

 

みなさん、こんにちは。

Voice Lab.の植村です。

最近はこえぶろぐやYouTubeも含め、投稿が進まずにいます(特にこのアメブロの方は一年に何回かになっていますね…^^;)が、いつも「書きたいなあ。」と思ってはいるのです。

ここのところレッスンが結構忙しくてなかなか落ち着いて記事を書く気持ちになれないということもありますが、良い内容の記事を書こうとして結局なかなか進まない、という感じなのだと思います。

もともとビジネス的に賢い方では無いので、本来なら頑張って投稿した方が良いのだろうと思うのですが、「まあこんなこと書いてもなぁ」と書きかけの記事を消してしまったりしてしまいます。

最近、色々と思うことがあって、FacebookやTwitterなどを閲覧することを辞めました。

 

たまにメッセージのやり取りなどでページを開くことはあるのですが、じっくりと見ることは辞めました。

前にも一度同じことをしたのですが、何となくまた見るようになって、結局元通りになってしまったので、今回は、Facebookで「しばらくお休みします」と投稿して自分だけの話ではないことにしました。

Facebook等を見なくなってから、自分と向き合う時間が増えました。

僕の場合、記事を見ることで人と比べて不安になったり、いらついたりすることが多かったので、これまではそんなことのために自分の貴重な時間とエネルギーを使っていたんだなと思いました。

僕の「Facebookお休みします」という投稿に対しても、同意して下さる方が多いみたいでした(メッセージくださった方には返事もせずにすみませんです・・・)。

 

自分と向き合うと、自分を認めないといけなくなります。

認めないととてもしんどいからです。

外に意識が行ってる間は、「あれはおかしい」とか「自分の方がすごい」とか「認めてもらえた!」とか、外の情報で気が紛れているのですが、そういったことから離れてしまうと、途端に自分のことを批判し始めてしまうのです。

非常に当たり前ですが、ボーカルとしても、ボイストレーナーとしても、一人の人間としても、僕には至らない所がいっぱいあります。

それはもちろん僕だけのことではなく、ほとんどの人はなにがしかの至らない部分を持っているのだと思います。

自分が至らない不完全な存在であると認めることは、その他大勢の人や世の中を認めることなのだと思います。

そしてそれは自分にとってとても怖いことのようです。

自分だけが特別な存在でありたいのかもしれません。

でもずっとその気持ちでいることは、常に他者との比較の中で勝利し続けなければならず、現実的に考えて不可能だし、自分の人生に求めているものでもないと思います。

「自分を認める」

これが出来れば、もう何も怖いものはありません。

もし、世界中が本質的な意味でこうなるなら、一瞬にしていろんな問題は消えてしまうでしょう。

ちっぽけな自己承認の欲求ではなく(むしろこれは比較の世界に属すると思います)、それを超えた大きな枠組みの中で自分を認められるようになりたいと強く願っています。

そんな歌を歌えれば、それを聞いた人の心はきっとその人も忘れていた自分を取り戻すきっかけとなるのではないかと思っています。

僕はこえぶろぐの方で「ボイストレーナーへの道のり」という10回のシリーズ記事を投稿しました。

これは、「ボク」という一人の青年がボイストレーナーになるまでの過程を書いたものです。自分が初めて音楽というものを特別に感じた幼少の頃からボイストレーナーとして今の【Voice Lab.】を立ち上げるまでをできるだけ丁寧に綴りました。

そんな今、僕が感じているのは、「『ボイストレーナー』という枠組みを抜け出したい」ということです。

 

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20年ほどボイストレーナーという仕事をしてきました。

初めの頃は、歌う仕事と半分半分くらいで、自分が歌うという現場が常にあったわけですが、Voice Lab.を立ち上げてからのここ10年ほどは、ほぼボイストレーナー一本で、歌を歌う現場からかなり遠ざかってしまいました。

そのうち、歌を歌うという本能的な衝動よりも、声や歌の分析という理性的な心の働きの方が動きやすくなっている自分に気づきました。

 

そして、

 

「自分の歌が歌えない!」

…そう感じるようになりました。

原因として僕自身の発声的な未熟さというのもあるのですが、自分の歌を見失った時期が長くありました。

それは恐怖以外の何物でもありませんでした。

自分が自分の納得できる歌を歌えなくなったら、自分の存在価値はどこに見い出したらいいのだろう。

それは、ボイストレーニングという「知識」や「ノウハウ」の中に自分の歌が収まりきらず、理性的にも本能的にもどちらにも往き切れない苦しい状態でした。

ちょうど、ガルシアが喉頭鏡を使って声帯を直接見ることが出来たことによって(知識を得て理性で考えたことによって)、声の自然から離れて行ったような(腹式呼吸に代表されるような)感じなのかもしれません。

4年半ほど前にフースラーメソードと出会ったおかげで、自分の声が整理され、徐々に活性化してきました。

それでも、まだまだ自分の中で自分の声や歌に対する感覚や衝動と身体(おもに喉)の使い方が不一致を起こしています。

自分の中で、「声の核心に迫りたい」「100%自由な声が出したい」という気持ちは、嘘偽りない本当のものだと思うのですが、いざ自分が歌う段になってみると、

・ボイストレーナーとして恥ずかしくない歌
・人から批判されない歌
・人からすごいって言われる歌

などを無意識に気にしている自分が居ました。

とても不自由な状態です。

たとえ発声的にはイケたとしても、歌としては最悪の歌です。

ある夜、奥さんと話をしていて、そんな自分に気づくことが出来ました。

恐らく心の底ではずっと分かっていたことだったのですが、それを認めたくなかったのだと思います。

「なに怖がってんだろ、バカだなぁ…^^」

と思いました。

僕の現在の職業はボイストレーナーです。

人の声を聞いてどこが良くないのかを判断して改善してゆくべき方向を指示してゆくというものです。

その精度を上げるために、声について「知るべきこと」「勉強すべきこと」はたくさんあると思いますし、それを怠るつもりはありません(むしろ積極的に知りたいです)。

ですが、僕が生徒さんに伝えたいことは、知識やノウハウ、そのものではなくて、その先にある「声」と「心」の繋がりなのです。

そしてまずは自分が、そこを伝えられるようにならなくてはいけません。

…っていうより、いい加減そろそろ自分が心の底から満足のいく歌を歌いたいなあと思うのです。

そんなわけで、ボイストレーナーとしての縛り(自分で勝手に作ったわけですが^^;)から自由になって、あれやこれやと自分の歌や声や思いなどを発してゆきたいなと思っています。

どんな感じになるか分かりませんが、そんなあれこれを動画やらブログやらで模索発表してゆこうと思うので、温かい目で見てもらえるととても嬉しいです。

 

これからもVoice Lab.をどうぞ宜しくお願い致します!!!

 

 

植村典生