歌の感情移入と歌詞について
歌を歌う時に「気持ちを込める」ことが大切であると言われます。確かに誰でも一度くらいは気持ちのこもった歌を聞いて思いがけず心を動かされた経験があるのではないでしょうか?
さて、「歌に気持ちを込める」というレッスンで一番よくあるのが、歌詞をしっかり読み込んで詞の意味を深く理解し、その気持ちを込めるというものです。
このようなことはプロの歌い手ならほぼみんながやっていることたと思います。特に日本語(母国語)で歌う場合、歌詞のイメージによって歌が情感を増すことは想像に難くないはずです。
しかしながら、レッスンの中でこうした歌詞からのアプローチを試みても、歌が感動的になるのは意外にもかなり稀なケースです(プロやそれに類する方のレッスンでは効果が大きい場合が良くあります)。
おそらく一生懸命歌詞の世界をイメージして気持ちを込めて歌っても、なかなか思うように感動的にならないという人はかなり多いと思います。気持ちを込めたつもりが、どちらかと言えば、暑苦しくていっぱいいっぱいの歌に聞こえるし、気持ちを込めているどころか、むしろ一本調子に聞こえるという方向に行きがちです。
一体なぜ気持ちを一生懸命にこめても歌に気持ちがこもらないのでしょうか?
理由は二つあります。
一つは、①音楽的表現に昇華できてないことで、もう一つは、②歌詞をイメージして込めたつもりの気持ちにリアリティがないことです。
①音楽的表現に昇華できてない
いくら気持ちを込めてもそれを音楽に必要な表現に乗せることが出来なければ人にはなかなか伝わりません。
私はプロの歌い手として歌にそれなりの気持ちを込めることが出来ます。
ですが、ダンスで同じように気持ちを込めることはできません。ダンスの動きの背景や意味をどれだけ私が深く理解したとしても、それを身体の動きで表現する術を知らないからです。
歌に限らずプロフェッショナルというのは、「指」や「声」や「色」や「身体の動き」などで『どうすれば自分の気持ちがより伝わるのか』を日々練習しています。気持ちをどのように込めるかの前に、歌なら声、ダンスなら動き、絵画なら色や形、を使ってどうやって自分の気持ちや表現したい内容を表すのかということがトレーニングされなければ、感動的な表現になることはないのです。
失恋したばかりの人が失恋の歌を歌ったら必ず感動するのかというと、そんなことはありません。それよりもラブラブな状態のプロ歌手が気持ちを込めて失恋の歌を歌った方が人を感動させるに違いありません。
歌詞を読み込んで歌の気持ちを込める前に、まず声と気持ちを繋ぐトレーニングが必要なのです。言葉の意味(歌詞)の前に音の意味(メロディー)を感じて音で気持ちを表現することを分かる必要があります。
②気持ちにリアリティがない
言葉では説明しにくいのですが、これも表現力を付けようとしている人が陥りやすいところです。
歌詞の意味を吟味してそれを自分の中で高めることと、もうすでにその状態にあることとはまるで異なります。
例えば「君のことが好きなんだ」という歌詞を歌うとします。
「好きだ」という想いをイメージして気持ちを高めて歌うことは、好きでもないのに無理に好きと思おうとしている状態と同じです。
誰かを好きになる時、「好きだと思おう」とすることはありません。そんなこと思わずとも勝手にどんどん好きになってゆきます(笑)。
みなさんは、ゲームを夢中で遊んでいたら気付けば夜だったなんてことはなかったでしょうか?
もし、ゲームを「楽しいと思おう」なんてことをしていたならどれだけしんどいことでしょう。逆に楽しくなくなるに違いありません。
特に何かを思おうとかしなくても、そのままで楽しいのです。だから何時間でもできてしまうし、夢中になれる(集中出来る)のです。
歌は歌詞がある分、歌詞を理解することが大切なように言われますが、歌以外の音楽には歌詞はありません。そんなインスト曲(歌のない楽器だけの曲)でも、もちろん感動することが普通にいっぱいあります。
音楽を通じて表現したいのは音なのです。言葉ではありません。これはとても大切なことです。
もちろん言葉を伝えたいときもあります。John Lennonの「Imagine」に代表されるようなメッセージ性の強い歌が多くの人の心を突き動かし、世の中すらも動かすほどの力を持つことは多くの人が体験してきたことだと思います。
でもJohn Lennonが、「Imagine」を歌じゃなく、ただの詩として発表していたら、これほど愛されるものとして今も生き続けているでしょうか?
大切な言葉やメッセージがもし、異なるメロディー・ハーモニー・リズム・アレンジで歌われたなら、伝わるメッセージの内容そのものさえもまるで変わってしまうことだってあると思います。
言葉はとても大切です。
ですが、それを声や音で表現するのが歌であり音楽であるというところを忘れてしまうと、ただの説教臭い歌や自己満足の歌になりかねません。
多くの人に受け入れてもらいやすい形として「歌」があります。
私たちに必要なのは国語の勉強ではなく、音楽の勉強なのです。
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