いったい何を話されるのだろう……。
期待と不安でドキドキしながら、久し振りに通っていた音楽学校へと向かいました。
実は内心、「ひょっとしてボーカルの講師をしないかと言われるかもなぁ」とも考えていました。
音楽学校にまだ学生として在学中の頃に、「植村くん、音楽理論の講師やってみる気ある?」と聞かれたことがありました。
「えっ、歌の先生じゃなくてなんで音楽理論の先生なの?」と、その時は思いました。
そして、まだ自分自身のグズな性格をちゃんと自覚していなかったボクは迷いもなく、
「ボクは、スケールなど理論としては理解してても音楽的な実感がない(演奏や歌唱でそれを使いこなすことが出来ない)ので、ボクが講師をやるのは音楽的な見本が提示できないので駄目だと思います。」
とお断りしていました。
自分がしたいことを見極められずになかなか動けない人間だとちゃんと自覚していたら、「話を詳しく聞かせてください」と突っ込んで聞いていたかもしれません。
でも音楽学校の学生時代は自信満々でいたので、自分が仕事に就けるということよりも、どうあるべきかを優先したつもりでした。
そんな訳で、以前に講師になる提案があった分、何となく頭の中に、歌か理論の先生かなぁと浮かんでいたのです。そして、自分でも人に何かを教えることは、きっと向いているだろうなと感じていました。
………そんなこんなを考えながら歩いているとすぐに音楽学校に到着しました。
まだ心の準備も出来ないままに、そこで言われたのは、以下のような言葉でした。
「植村くん、ボイストレーニングの講師をしてみる気はないか?」
……(@_@)……
???うん???
ボクにとって全く想像していない言葉でした。
歌の講師という想像はなんとなくしていたのですが、ボイストレーナーという選択肢は頭の中に1ミリもありませんでした。音楽理論の講師すら頭に浮かんでいたというのにです。
僕がそれまでに受けたボイトレの先生はほぼオペラなど声楽をきちんと勉強された方ばかりでしたし、自分のようなポピュラー音楽のみを噛じった人間が出来るとはまるで考えていなかったのです。同じ歌の先生でも、ボイトレの先生はまるで別の存在だと感じていました。
今では、「歌を教える人≒ボイストレーナー」というようなイメージがあるかもしれませんが、当時はボイストレーナーという存在がかなり稀で、普通の歌の先生とは違うとても専門的な仕事というイメージだったのです(実際、そのイメージは正しいと思います)。
「えっ?!ボイストレーニングですかっ?実技(歌唱指導)じゃなくて(?_?)?」
「……ボイストレーニングの指導なんて、ボクなんかに出来ますかねぇ……(゜-゜)」
「……そもそもボクでいいんですか?(@。@)?」
「……てか、なんでボクなんですか??(@O@)??」
「ボク、高い声がめっちゃ出るわけでもないし、どうして教えたらいいか全く分からないんですけど……(+_+)……。」
「 えぇっとぉ………。」
「 …………ん…………。」
「 ……………………………………。」
頭の中がかなり混乱しました。
歌を教える仕事はゆくゆくやってゆきたいし、やってゆくだろうと思っていました。
でもそれは、歌のプロとして活躍して後に年取ってからとか、オーディションなど受けまくっても何ともならなかった時の現実的な仕事として考えていました。
つまり自分の中でどの道に進もうが「歌の先生」というのは、音楽をやる上での一番最後の選択肢だったわけです。
でもまさか、こんなに早く選択を迫られるとは思ってもみませんでした。
最後の選択肢のはずが、ほぼ最初の選択になってしまいました。
しかもその話が来たのが「ボイストレーナー」となれば、何をどうしたら良いのかまるで分かりませんでした。
グズな自分にとって、ボイストレーナーになるか、音楽を辞めるかの2択で、音楽を続けるための他の選択肢はどこにも見当たりませんでした。
ただはっきりとしていたのは、『この講師の話を断って自分の音楽の状況や人生が好転するとはとても思えない』という現実でした。
オーディションも受けない、作曲や作詞もしない、ライブもしない、ピアノや歌の練習もしない、………そんなダメダメな人間に、奇跡のごとく輝かしい音楽の道が急に拓けることが、果たしてこの先あるでしょうか!?
……あるはずありませんでした。むしろこのボイストレーナーへのお誘いこそが、音楽をすると言いながら何も動けないでいるグズな自分に訪れた「最後の奇跡」に違いありませんでした。
ボイストレーナーになることに対して色んな不安や複雑な思いが沢山湧き起こりました。
それでも結局ボクの口から出たのは、
「やらせて下さい。よろしくお願いします」
の一言でした。
………ボイストレーナーの話を頂いて決断するまでは色んな思いが駆け巡りましたが、いざやると決めたら思いのほか気持ちは晴れ、やる気が湧いてきました。
発声のことを何も分からないボクに対して、音楽学校の方で東京から来られていたK先生の授業を何回でも見学したり受けたりしてもいいよ、と段取りしてくれていました。
当時K先生は、TVに出たりされていてとても気になっていたので、ラッキー(^^♪と思いました。
TVでは、とても厳しく指導されていて、怒鳴ったりタレントを泣かしたりされていてかなり怖いイメージだったのですが、実際にお会いすると、とても優しく面倒見のいい方でした。
右も左も何も分からないでいるボクに「植村さん、この本は読んでおいた方がいいですよ」と紹介されたのが、フースラーの『うたうこと』でした(アンザッツについて ① 参照)。
当時のボクにとっては医学書かと見間違うほど筋肉や軟骨などの名前が出てきて、何度も読むのを断念しようかと思いました。
ですが、ボイストレーナーの先生のレッスンを何度でも無料で受けていいと言ってくれた音楽学校の社長や親身になって教えてくれるK先生の存在を思うと「本を読むことくらい出来なくてどうするんだ」という気持ちになり、意地で最後まで読みました。理解するというよりは文字を眺め終わったと言った方が正しいほど、全く意味の分からないままでした。
でも、自分的にはとりあえず自分の義務を一つは果たせた気になって肩の荷が下りました。
この本からスタートできたことは、ボクにとって幸運でした。詳しい内容は理解できなくとも、発声において生理学的なアプローチというのが必要であることは自分の中で当り前になっていました。
半年ほどの間、バイトをしながら週1のペースで先生のレッスンを受け、毎回どんなメニューをしたかノートに書き取りました。
とりあえず本当に何も分からなかったので、いつか何かがわかるきっかけやヒントがあるんじゃないかと、その時にした練習の詳細を気付いたこと全部ノートに書き出しました。
しかしレッスンを進めてゆく上でのコツやツボなど何一つ分からないまま、レッスンの受講と見学の日々が続きました。
このままで果たしてちゃんとレッスン出来るようになるのかとても不安でした。
ピアノも不安でした。
簡単な音階練習のフレーズ(ドレミファソファミレドなど)を詰まらずに弾くのが意外に難しいのです。なんちゃってジャズが弾けた気になっていたボクですが、基礎力のないボクにとっては、全キーで弾けないといけないことと、音楽的でない機械的な音の羅列がかなり難しかったのです。
またK先生のレッスンでは、コンコーネ(声楽の歌唱練習曲集)を取り入れていたので、その譜面に自分なりにコードを当てはめて伴奏する練習もしました。コンコーネが何故必要なのかも分からないまま、形だけでもK先生と同じことができるように準備しました。
いよいよ。
ボイストレーナーとしての初日がやってきました。
何の確信もないまま、不安だらけのスタートでした。
そんなボクにK先生は、
「植村先生は生徒さんたちと年も近いし、あれこれ心配せずに、頼れるお兄さんのような形でうまくやって行けると思いますよ。大丈夫。植村先生なら生徒さんたちに信頼されるいい先生になれまます!」
と言って下さいました。
もうやるしかありません。どう足掻いたところで今の自分の能力が急に上がるわけではないのだから、せめて熱意や情熱といったものだけは誰にも負けないように頑張ろう、そう思いました。
初めてのレッスン。
内容は、K先生の100%コピーでした。
目の前の生徒さん達にとって、ボクはちゃんとボイストレーナーに見えているのだろうかと内心ビクビクしていました。
汗が滝のように流れ出しました。
まるで拷問でも受けているかのような長い90分(1レッスン)が何とか過ぎてゆきました。それが4コマ続きました。
長い一日が終わりました。
誰もボクがちゃんとしたボイストレーナーかどうかに疑問を持っている様子はありませんでした。
生徒さん達も初めてボイトレを受けるという緊張感と先生と他の生徒さんとの顔合わせとで、みんなドキドキしているようでした。
何とか無事に初日を終えました。
とりあえずはホッとしました。
一日中張り詰めていた緊張の糸をプツンと切ると、疲れが一気に押し寄せてきました。
そして、何とか今日という日を乗り越えた安堵感よりも、この生徒さんたちをこの先2年間ちゃんと導いてゆかなくてはならないという現実に、
「このままではいけない!」
と、深く、強く、思うのでした。
ボイストレーナーへの道のり ⑦ に続きます。