中学生・高校生時代のボクは、音楽をとても愛していました。それでも、プロになりたいという気持ちはほぼありませんでした。
今ほど「夢を諦めるな」といった陳腐なメッセージが氾濫してる時代でもありませんでしたし、本当に純粋に音楽が大好きなだけでした。
自分の将来について大して深く考えたこともなく、その結果自分のアイデンティティーと音楽を結び付けて考えたこともなかったので当然のことかも知れません。
とは言え、先ほど「ほぼ」ないと書いたように、おそらくプロになりたいという気持ちが全くなかったわけではなかったと思います。無意識に夢に見ていたところもあったように思います。
中学か高校の頃に「本当は将来ミュージカルとかやってみたいけど、僕はそんな勇気もないからやっぱり普通にサラリーマンなんだろうな」と誰かに話をした記憶があります。
それは強い衝動ではなく、何となく「そうなればいいけどなぁ」くらいのものだったので、それに向けて何か努力するとか、どうやったらなれるのか調べてみるといったことは一切ありませんでした。
ボクにとって「ミュージカルをすること」というのは、やりたいことをやる勇気もなく無難な道を進むであろう自分のダメさ加減を自覚したり戒めたりするためのものであって、どうしてもなりたいというような強い夢ではなかったように思います。
高校三年生になったボクは、高校の文化祭でクラスで演劇をすることになりました。うちの高校では毎年高校三年生は文化祭でクラス対抗の演劇祭をすることになっていました。
ボクは、チェーホフの「かもめ」という有名な文学作品をもう一人のクラスメイトと一緒に脚本・演出を担当しました(そのもう一人のクラスメイトがとても文学に造形の深い人だったので、「かもめ」という名作が選ばれました)。
「演劇って面白いな!」
そう思いました。
もちろん演劇よりも音楽の方がずっと大好きでしたが、X-JapanやBUCK-TICKなど当時はビジュアル系ロックが流行っていたので、音楽をやるということは、「髪の毛を染めてスプレーで髪の毛を立てて固めて、モニターに足をかけてヘッドバンキングしながら歌わないといけないんだ」と勝手に思い込んでいました。
「そんなの無理だ……」とこれまた勝手に悩んでいたボクは演劇という新しい表現と出会ってとても興味を持ったのです。
高校・大学とエスカレーター式に上がれる学校に通っていたボクは、すでに入学の決まっていた大学の演劇サークルを覗いてみることにしました。
「!! (✽ ゚д゚ ✽) !!」
これまで全く見たことも感じたこともないものでした。全く初めての体験でした。Journeyを初めて聞いた時(ボイストレーナーへの道のり①参照)に負けず劣らずの衝撃が走りました。
「大学に入ったら演劇をしよう!」
舞台を見てすぐにボクの気持ちは固まりました。入学早々に憧れの劇団に入団しました。舞台で見た役者さんの大半は卒業されていていない感じでしたが、すごく印象に残っていた方は、座長としていらっしゃいました(と言ってもこの後すぐ4月の公演が終わったら引退されました。これも学生劇団の宿命なのかもしれません)。
役者として稽古の毎日でしたが、なかなか思うように声は出せませんでした。
その頃は「ボイストレーニング」という言葉が出始めた頃で、実は高校の頃からこっそり本を買って少し練習していました(っていうことは自分では気がついてないだけで結構音楽をプロとしてやってゆきたいと無意識に思っていたのかもしれません)。
お腹を膨らませるようにして息を吸って、そのままを維持するかむしろ更に膨らませるつもりで声を出すというものでした。自分なりにこういう事かなと思う感覚を掴んでいました。
ですが、劇団に入ると、「はい腹式の練習です。」と教えられたのは、お腹を凹ませて強い息を吐いて声を出すという真逆とも言えるものでした。
「ボクの思ってるのと違うんですけど」
と言いましたが、
「腹式は、お腹に吸って膨らむから、声出すときは吐くんだから凹む方に動かすんだよ」
といった風に説明されました。確かに僕なんかよりもデカくていい声を先輩方は出されていました。
発声練習をしながら、これまでの癖と闘いながらお腹が膨らんだり凹んだりで迷いまくりました。
先輩の通る声を聞きながら、「こんなはずじゃないんだけどなぁ」と感じていました。発声もずっと自分なりに頑張ってはいたのですが、上達の速度はあまり早くはありませんでした。
とある舞台の稽古中、役作りをしている時に行き詰まって気分転換に大声で歌を歌っていました。
「うるさい!誰や!?」
先輩がボクの稽古場(階段の踊り場だったと思います)を覗きに来られて「なんや、典生か!その声、舞台で出したらええねん」と言ってくれました。
何故か演じるよりも歌を歌う方が自分にとっては声が出しやすいんだぁ……とその時不思議に思ったのを今も覚えています。
それでも演劇を何年か続けてくうちに、今まで大好きだった音楽よりも演劇の方にどんどんと心惹かれてゆきました。早々に役者としての才能は無いだろうなあとうすうす気付いていましたので、脚本を書いたり演出したりといった事で何か自分にしか出来ないものが創り出せるのではないかと夢見ていました。
そんな中、聞く音楽も舞台でBGMとして使用しやすい曲を探して聞くようになってゆきます。
もともと好きだったJourneyからプログレシブロック(通称プログレ)を開拓し始め、歌ものではないインストものの曲やフリージャズ、民族音楽、現代音楽、アンビエント音楽などを広く浅く聞くようになります。
演劇をやっていた頃はかなり頭でっかちなところがあって(今でもそういう部分はありますが)、ジョン・ケージや武満徹などスゴイと言われてる人の音楽や思想などに触れて(有名な4分33秒など)、「ああ、これが凄いんだ」って分かった気になっていました。
演劇にどっぷり浸かる学生生活を送りながらも、ある日、演劇を辞めようと決断します。
原因は本当に色んなことがあるのですが、敢えて一言で言うなら、自分の人間力の弱さというか、人との深いコミュニケーションを交わすことが怖れているということなのだと思います。
殴り合いのケンカをしたり、深く人を愛したり、愛されたり、泣いたり、笑ったり、怒ったり怒られたり、傷付けたり傷付けられたり、恨んだり恨まれたり、裏切ったり裏切られたり………。
こういったことを避けて生きてきたボクが一体何を演じられるというのでしょうか。何の脚本が書けるというのでしょうか。
ボクの演劇人生は、『自己否定』という最悪の形で幕を閉じてしまったのでした。
~ ボイストレーナーへの道のり ④ へ続く ~