How to SING ~心に響く歌~ ② 何を歌うのか
みなさんは、歌をうたう時に、何を思って歌いますか?
音程を外さないこと?
リズムを良くすること?
高い声の出る所で、上手くミックス出来るようにすること?
歌詞を心にイメージすること?
カラオケの採点が90点以上になること?
いい響き?
腹式の呼吸?
喉を開けること?
・・・もちろん、どれも「間違い」ではありません。
それが「したいこと」なら、上手くいけばとてもうれしいですし、大成功です。
カラオケでなかなか90点代が取れない人にとっては、それができるようになることは大きな目標であり、それが実現するならとても嬉しく思うはずです。
自分のことを音痴だと思っている人からすれば、いっぱい練習してメロディーを外さずに歌えるようになれば、今まで苦手意識のあった歌がどんどん好きになることもあると思います。
高い声の出ない人であれば、これまで原曲のキーで歌えなかった曲が歌えるようになれば、こんなにうれしいことはないでしょう。
歌への想いや楽しみ方は人それぞれです。
そしてもし、そのまま歌の道をもう少し奥まで進んでゆくなら、
「自分の歌で人を感動させたい」
という気持ちが沸いてくるでしょう。
必ずです。
誰でもです。
もし、自分の歌で、誰かが感動して泣いてくれたりしたら、どうでしょう。
すごいことではないでしょうか!?
私たちは、歌に限らず他者と何か響き合うことによって人生に彩りを与えているのです。
さて、突然ですが、もし、下のような状況の場合、あなたはどっちがうれしいですか?
① 完璧な発声で完璧な音程でカラオケの点数も100点!
・・・でも、誰も感動していなくて(そもそもあんまし聞いてくれてない)スマホをヒマそうにいじってる。
終わったら、一応拍手してくれたけど、普通に次の曲を別の人が歌い始めて、さっきのボクの歌に何か言ってくれる人もいない。
② 音程は結構はずしたし、声が上ずったりもしたけど、気持ちはそれなりにこめられたと思う!
・・・歌い終わって誰もリアクションがないと思ったら、よく見るとみんな泣いてくれてる。
一呼吸してから「めちゃよかった~。泣けたぁ~!」ってみんなからスゴイって言われる。
どうですか?
②の方が良くないですか?
私なら断然②がいいです。
音程や発声も完璧でみんながめちゃ感動してくれる方がいいかもですが、どれだけ完璧でも人の心を動かさないのであれば、それは全く意味のない歌です。
まったく当たり前な話ですが、私達は、「正しさ」のために歌っているのではなく、「人の心を動かす」ために、歌っているのです。
では、「人の心を動かす」ものとは、一体何でしょうか?
完璧な発声やピッチ(音程)、リズム?
強弱やビブラートなどの高い歌唱技術?
……もちろん答えは「No!」です。
答えは、・・・・・・とてもシンブルで、「なんだ、普通じゃん。」と思われるかも知れませんが、ただ一つ、
『心の動き』です。
つまり、歌っている自分の「心が動く」時、それを耳にした人の心に「さざ波」が起きます。
その「さざ波」が感動につながったり、逆に退屈にさせてしまったりするわけです。
自分の歌で相手の心にどんな「さざ波」を起こすのかが、歌を歌うときの一番大切なことです。
つまりは自分の心にどんな「さざ波」を起こせるのかということになります。
決して「いい声」を聞いたから感動する(「さざ波」が起きる)わけではありません。
その「声」を発した時の歌い手の気持ちが伝わってくるからこそ、人は心を動かされるのです。
たとえば誰かを好きになって、
「好きです」と告白する時に、
完璧な発声と滑舌と腹式呼吸と鼻腔共鳴と支えとミックスボイスは必要でしょうか?
「なんて完璧なミックスなの?ぜひとも私と付き合って下さい!」
・・・とは、どうかんがえても、ならないですよね・・・(^_^;)
良いところで、
「何それ?発声練習?めっちゃいい声じゃん!」
と言われて終わりでしょう(笑)。
普通なら気持ち悪く思われると思います。
それよりも、たとえ緊張で上手く話せなかったとしても、自分の気持ちをなんとか言葉にして伝えることが出来たなら、結果はどうあれ相手に自分の想いを届けることが出来ると思います。
歌も人の気持ちを動かすという意味では告白と同じです。
「いい声であること」を伝えるのではなくて、「好きだという気持ち(歌ではその歌の気持ち)」を伝えるわけです。
「じゃあ、気持ちを歌う練習をすればいいんだ!」
「・・・・・・。」
「・・・どうやって気持ち込めたらいいのかな???」
「歌は心だ、気持ちをこめて歌え!」といった指導は昔からあります。
歌詞の世界を読み込んでその世界観に浸ったり、過去の経験から近いもの(たとえば失恋とか)を思い出してそれをイメージしながら歌ったりするわけです。
それが指導として100%間違っているとは思いませんし、こういった指導で歌が上手くなる人もたくさんいらっしゃると思います。
ですが、非常に抽象的です。
その指導を受ける方の感受性や自己解放のレベルにレッスンの質を委ねることになります。
つまり、出来ない人はずっと出来ないままのことが多いです。
「いつかは出来るはず!」
と、毎回レッスンで精一杯気持ちを込めてみても、なかなかいつも思いように行かず、気持ちが空回りしてしまう・・・、こういう人はかなりいるはずです。
結局、自分は歌に向いてない、自分は歌は歌えないんだ、とあきらめて歌が嫌いになったり、自分を卑下してしまったりしてしまう人がたくさん出来てしまうのだと思います。
とてもつらいことです・・・。
では、目先を変えて、
歌ではなく、楽器を練習している人はどうやって心を込めて演奏しているのでしょうか?
中村紘子さんという有名なピアニストが10年位前に徹子の部屋に出演されていました(彼女は2016年に亡くなられています)。
私がとても印象に残ったのは、彼女が日本の音楽学校を中退してジュリアード音楽院に留学された時のエピソードでした。
ジュリアード音楽院でのレッスンが日本でのものとあまりにも違うことに衝撃を受けられたそうです。
それまで日本では、たとえばベートーベンの「月光」を弾くとなると、その曲の背景やベートーベンの生涯をいっぱい調べて、それに沿って曲想を膨らませ、レッスンに臨むようで、
「もっとベートーベンの気持ちを深く理解しろ!」
といった指導が多くあったようです。
それがジュリアード音楽院でのレッスンでは、そんな指導は一切なく、
「この音はもう少し繊細に」
とか、
「ここのクレッシェンドはもっと大胆に」
とか、音についての指導しかされなかったそうなんです。
ジュリアード音楽院の先生は、ただ譜面通りに弾くように指導しているのではありません。
譜面に書いてあるリタルダンドを「もっと脱力して」とか、「湖面のさざ波が徐々に静まってゆくように」といった「表現」へと昇華させているのです。
「意味(ベートーベンの生涯や曲の背景など)や正しさ(楽譜や奏法など)」を表現するのではなく、ピアニストの「心の動き」をピアノの「音」でリアルタイムに表現するのです。
「心の動き」とピアノの「音」とをこうした指導によってリンクさせているのです。
クレッシェンドなら、だんだんと機械的に音を大きくすればいいのではなく、自分の気持ちと合わせて(リンクさせて)大きくさせてゆく、ということなのです。
話を歌に戻します。
先ほどのピアノの話を歌に当てはめると、「心の動き」を「声」とリンクさせて、気持ちを表現してゆく、ということになります。
ではどのようにして「心の動き」を「声」とリンクさせてゆくのでしょうか?
決して論理として理解しなくとも、歌の先生がやろうとしていることは、このようなことで、同じ事に向かってレッスンしているわけです。
きっといろんな先生がそれぞれいろんなやり方で試行錯誤しながらレッスンされていると思います。
ボイスラボでは少し変わったレッスンを行っています。
私の知っている限り、他で同じことをやっていると聞いたことはないです。
では次回から、ボイスラボで実際に行っている歌のレッスンを少し紹介してみたいと思います。
なかなか具体的な練習法に入りませんが、とても大切なことなのでじっくりと書きました。
次回はレッスンについて書いてゆきます。
どうぞお楽しみに!!!